Twitterの方で少し書いていた「信頼」基準の違いが元で生じる問題について、持論をまとめてみます。
まず多くの人は同じ組織にいる他者に対する信頼の基準を100点中90点くらいの高い水準で見ていき、そこから悪い部分があれば減点法で他者への信頼度というものを評価していく。
対して
http://news.nicovideo.jp/watch/nw189988の記事で紹介されているような前触れなしに相談をせずにやめていく人達というのはこのようなタイプではないと考えている。
コミュニケーションを取る為表向きは前者のような振る舞いをしているものの本心では信頼を出来ないことを前提として、100点中10点~25点くらいを基準にそこから加点法で他者への信頼度というものを評価していくというパターン。
だからこそ、信頼されていることを前提にして考えてしまえば「なぜ相談せずにいきなりそんな決断をしてしまったの?」となってしまい損失を被るケースが出てくるのではないだろうか?
テレビ等でたまに紹介される別れさせ屋や詐欺師の手口に関してはまずこの相手を信頼させることに非常に重点を置き次へのステップを踏んでいることが分かる。そして、後者側のタイプはこの信頼させる為の話術とも言えるコールドリーディングを踏まえた会話をするタイプには深く信頼し過ぎてしまい逆に詐欺の標的にもなりやすいとも思われる。
また、他者を信頼しないことを前提に考えているからこそ、このような上手な話術で言葉巧みに話されると一変してリアルヤンデレやカルト宗教の信者にもなりやすいと考えられる。
そして上記URLのニコニコ動画の記事に書かれている件であるが、何故若者にこういうタイプが多く現れたかといえばやはり一つは年功序列、終身雇用の撤廃だろう。これを撤廃していない強固な年功序列を維持している企業だろうとそもそもこういうものは急に変わるものであるから、信頼されずに成果主義的な見方、考え方になる。
「同じ組織」と言っても「組織同士で味方である」という概念が薄れてしまっているからだ。
次に大きな要因とも言えるのがインターネットの存在だ。
一昔前であれば知識の情報源となれば親や教師、職場の先輩、テレビなどがそのほとんどを握っており、入ってくる情報もそう偏った考え方の情報が入ってくるようなことは少ない。対してインターネットを多くの若者が使用することによって起こった多くの情報の中には既存の社会への批判や既存の風潮への批判も溢れている。
疑心暗鬼に溢れかえった発言も多く、ネガティブで反論の出来ない正論のように嫌でも納得させられてしまうような発言も多い。そして、元々他者をあまり信頼しないようなタイプであればこの嫌でも納得させられてしまうようなインターネット上の正論にこそ信頼を置くようになり、伝統や風潮、これが社会だからといったいわゆる数学の公式的説明では納得出来なくなってしまうという影響が考えられる。
よって他者を信頼しないタイプは今まで以上に他者を信頼しなくなってしまっているのだ。
私の場合「インターネットとか難しく分からない」などの発言を聞けば「ネットに浸っている若者の層の考えを理解出来ないタイプだ」と即座に低い信頼度で見てしまうし、実際に考えが古いままなのはすぐに分かってしまう。
○○歳くらいになれば結婚して…以下略などといったような人生概念で見て何でこうしないのだろう?とか、給料の使い方はまず車にしないの?無いと不便でしょうがないじゃん(強調するように)とか、家で遊ぶことを中心にする価値観をつまらない人生と言うなどの発言は典型的なパターンだ。価値観が人それぞれ、世代ごとに大きな差が生じるのは当然にせよ、自分達の世代の常識でそれが当然と言わんばかりに発言して、他の価値観を否定してしまうのであれば信頼など生まれるわけはないだろう。
すぐにやめることに対して3年契約にしてしまうというのは合理性を考えれば正しいとは思うが、若者が置かれている環境の違いによる昔の若者との心理変化というものを考える必要があるのではないだろうか?
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